書評・レビュー「私は株で200万ドル儲けた」

2017年5月16日

「私は株で200万ドル儲けた」

私は株で200万ドル儲けた」(原著:How I Made $2,000,000 in the Stock Market)という本を読んだ感想です。

タイトルからすると良書には思えないのですが笑、この本はかなり有名になり、世界各国で発売された名書になります。

今回、2017年に新装版が出たので読んでみることにしました。

どんな内容?

本職はダンサーである個人投資家「ニコラス・ダーバス」が、1950年代に200万ドルを稼ぐ売買記録とその過程を述べた本です。

かなり昔の話ですので、この当時にダーバスが稼いだ手法をそっくりそのまま現代の投資に当てはめることはできないでしょう。

しかし、この本が面白いのは、もがき苦しみながらも、最終的に大金を手にするダーバスの行動と思考プロセスです。ノンフィクションの話として非常に読み応えがあり、興味深く、面白く読むことができます。

ダーバス自身の自己反省や、新たな投資法に挑む姿、情報をシャットアウトし電報だけでやり取りするに至る理由など、遠回りしながら巨額を築くこの話には大変勇気がもらえます。映画化できそうです。

本書冒頭の監修者まえがきにも、このように記載があります。

むしろ投資家にとって正しいメンタルモデルを習得するための手引書として読むべきものである

ダーバスのすごいところ

私は本書を読んでみて、ダーバスの「不屈の精神」に驚きました。

株式でいかに損しようとも、5年以上も投資を続け、もがき苦しみながら自分なりの方法論を探し出していく過程が、この本には綴られています。

結果として、すべてのことが間違っていたのだ。ギャンブル、耳寄りな話、情報、調査、研究など、株式市場で成功するために試みたことがすべてうまくいかなかった。もう自暴自棄だった。どうしてよいのか分からなかった。これ以上続けることはできないと思った。

しかし、やめるわけにはいかなかった。土地を守らなければならない。損を取り戻す方法を考えなければならない。

手数料や税金について理解していなかったり、まるで自分のペットのように親しみを感じてしまう「ペット株」で損したり、他人から聞いた「オススメ株」「耳寄り情報」で損したり、直感で株を選んで損したり、上場されていない株に手を出して損したり、ファンダメンタルを理解していなかったりと、現代の個人投資家もよくやるミスを、ダーバスは繰り返していました。

損切り

本書内では特に強調されて書かれていませんが、ダーバスは損切りを自然に行っています。

保有銘柄が大幅下落した時に、「いつかは回復する」と塩漬けにしてしまうタイプの人は大勢いるかと思いますが、ダーバスは「もうこれ以上の下落に耐えられない」と考え、損切りしてしまうタイプの人のようです。これが結果的にダーバスが再起不能・相場からの撤退を防いでいるように私には見えました。

「塩漬け」にすることもできただろう。これが保守的投資家と自称する人が取る典型的な解決策である。しかし、わたしはそのときすでに、こういう人たちをギャンブラーだとみなしていた。株価が下落しているときでさえも、持ち株を抱え込んでいる人をギャンブラーと呼ばずに、何と呼べばいいのだろうか。ギャンブラーでなければ、持ち株が値下がりすれば手放すだろう。手放さないのは、ギャンブラーはそのうちにツキが巡って幸運のカードを引き当てるだろうという望みを永遠に捨てきれないからだ。

マーケット全体が下落相場に入ったときにもダーバスは売り逆指値をおいていたので、下落に巻き込まれずにうまく撤退をすることができていました。この時ダーバスはニューヨークから遠く離れた地にいて、最新の相場のことなど知るよしもないのに、逆指値がダーバスを救ったのです。

どんな投資法?

本の中でダーバスが最終的に行う投資法は、いわゆる成長株へのブレイクアウト投資法です。

株価はある一定の範囲(ボックス)で動く。そのボックスを超えて値上がりする株を買うというものです。

株価が一番上のボックスの圏内に入ると、その動きに着目した。株価がそのボックスの天井と底の間を自由に跳ね回ると安心した。いったんボックスの大きさを見極めた跡は、そのフレーム内から株価が外れない限りは問題なしとみなした。実際、そのボックス内で株価が勢い良く上下しなければ不安になった。

変動しなければ、つまり値動きがなければ、それは活発な株式ではない。そして、活発な株でなければ、おそらくダイナミックに値上がりすることもないだろうから、私にとって興味がなかった。

買いたいと思う株は、上方のボックスへと上昇していくものだけだ。時折、ある銘柄が何週間も同一ボックス内にとどまっていることがあった。ボックスの中であるかぎりは――つまり、下方のボックスに落ち込まない限りは――それがどんなに長期に及ぼうが気にはしなかった

試し玉

こちらも本文中では特に強調されて書かれていませんが、ダーバスは「試し玉」、つまり最初に少額で株を買い、期待通り堅実なパターンで動きを続けたときには、追加で買い付け(ピラミッディング)しました。

試し玉をすると、よりその銘柄について注目し、動きがわかるようです。

こんな記述は勉強になりました

ルー・ケラー(ニューヨークのブローカー)に電話をかけて、古手の投資家を気取った素っ気ない口調で、何か良いものはないかと尋ねた。こういう尋ね方はむしろ精肉店での会話にふさわしいものだと今では気づいている

薦められた株を買おうと、よく急いで電話をした。買った株は必ず値下がりした。それがなぜだか分からなかったが、わたしは心配していなかった。ニュースレターの発行者は、自分たちの記事に「絶対的な」自信を持っているのだ。次に買う株は値上がりするはずだ。しかし、めったに値上がりすることはなかった。

金融界の予想屋が特定銘柄の買いを小口投資家に推奨するのは、彼らのような玄人筋がもっと早い時期にインサイダー情報に基づいて買った株を売る時期だという事実に気づいたのは、何年もたってからのことだった。

徐々にではあるが、従うべきルールの輪郭が見え始めた。それは次のようなものだ。

  1. 投資顧問の言うことを聞いてはいけない。彼らは絶対的に正しいわけではないからだ。これはカナダでもウォール街でも変わらない
  2. ブローカーのアドバイスには用心しなければならない。彼らも間違えることがある
  3. ウォール街の格言は、どんなに古くからのものでも、またどんなにありがたがられているものであっても、無視すべきだ(利食い百人力、安く買って高く売れ)
  4. 「店頭株」に手を出してはいけない。取引するのは、売りたい時には必ず買い手が見つかる上場株だけにする
  5. どんなに根拠があるように見えても、うわさに耳を傾けてはいけない
  6. ギャンブル的手法よりも、ファンダメンタルズに目を向けるやり方のほうがうまくいった。ファンダメンタルズの勉強をしなければならない
  7. 一度に10種類の銘柄を短期間で売買するよりも、むしろ値上がりしている1銘柄を長期間保有すべきだ

私は幸福感に浸り、興奮していた。それはお金のためと言うよりも、テキサスガルフ・プロデューシングを買ったときと同様、純粋に市場での株式の値動きに基づいて、エム・アンド・アム・ウッドワーキングを買ったという理由からだった。この会社のことは何も知らなかったし、調べても大したことは分からなかったけれども、価格が終始上昇していたことやでき高が多いことから判断して、わたしよりもはるかに多くのことを知っている人たちがいるに違いないと思っていた。この推測は正しかった。

(中略)マーケットに対して純粋にテクニカルな分析で臨むのが有効だと納得するのに、この経験が何よりも役立った。

株式はトレンドを描く過程で一連のフレームの中で変動することがあり、この枠一つ一つをわたしはボックスと呼んだ。株価というのはほぼ常に高値と安値の間を行き来している。この上下変動を取り囲む領域がフレーム、つまりは「ボックス」だ。このボックスが、わたしには非常にはっきり見えるようになった。これがのちに私が財産を築くことになる「ボックス理論」の始まりであった。

マーケットにはあり得ないなどということはない

  1. マーケットに確実なことはなにもない。きっと10回のうち5回は間違えるはずだ
  2. この事実を受け止め、これに従って自分を変えなければならない。プライドやエゴは抑えなければならない。
  3. わたし自身が公平な診断医にならなければならない。いかなる理論、あるいは株式であれ、自分と同一視してはならない。
  4. 単純な運任せではいけない。最初に可能なかぎりリスクを減らさなければならない。

基本的な戦略としては、いつも次のことを実行しようと決心した。それは、株価が上昇トレンドに有る時は、その動きに沿ってストップロスオーダーという保険をかけながら後追い(トレーリング)して行くこと、そしてそのトレンドが持続する場合は買い増しをすることだ。トレンドが反転したらどうするのか。泥棒のように逃げ出すしか無い。

  • 買いは自動的なストップオーダー(仕掛けの逆指値注文)
  • 売りはストップロスオーダー(手仕舞いの逆指値注文)

次のような方法で、わたしは感情を抑制するための訓練をした。ある株を買った時はいつも、買った理由を書きとめた。売ったときにも同じことをした。ひとつの取引が損で終わったときには、その原因を自分なりに考えてメモに残した。その後、同じ過ちを繰り返さないように気をつけた。

一般的に言って、将来の力強い発展が確実視されている企業の株は、その他と比較して高いパフォーマンスを示すはずだ。時代に呼応した健全な株は、20年後には20倍に値上がりしているかもしれない。この種の株は女性の服装と同じように一定の流行があり、成功するつもりならば流行の先端を行く株を探し出すことが重要である。急行が持続している間、先を見る投資家はその流れをとらえて、その流れに乗っている。そのうち流行が次第に衰えていくと、投資家もそこから抜け出す。彼らは新しいスタイルの株式にお金をつぎ込み始める。この流行の変化を一生懸命監視しなければならない。

相場が終始続落する中で、わたしはバロンズの株価表をずっと見ていた。値下がりに抵抗する銘柄を見つけようとした。もし流れに逆らって泳げる銘柄があれば、潮流が変わったときにはそれが最も先頭を切って泳いでいるに違いないと思ったからだ。

このなかの大半の銘柄は収益が急速に上昇傾向を示している会社のものであることが分かった。結論は明らかだった。マーケットが良くないにもかかわらず、資金はこういう株式に流れ込んでいる。

株式は収益力という主人に仕える奴隷だと言うのは事実だと思った。注目するのはただ一点だけに絞ろうと決心した。それは収益力の改善、あるいはその見込みがあるかどうかということだった。そのためにはテクニカルな分析とファンダメンタル分析のそれぞれの手法を結合する必要があると考えた。銘柄の選択は市場におけるテクニカルな動きに基づくが、その銘柄を買うのはファンダメンタルな理由を根拠にして収益性の改善が認められる場合に限ることにしようと考えた。これが、わたしがテクノ・ファンダメンタリスト理論に到達するに至った経緯であり、今でも使用している。

どのようにすれば今年流行する銘柄を変えるのか。わたしのやり方はただマーケットに現れる釣行を注意深く監視するだけだ。注意しなければならないのは、人々の未来に対する想像力を掻き立てることによって値上がりしそうな株を見つけることだ。

このことに基づき、発展を続ける銘柄を見つけるために、わたしは株式市場での価格の動きに注目した。企業の個々の製品には関心がなかった。実際、私は企業が何を製造しているを知りたいとも思わなかった。そういう情報はかえって判断の妨げになると考えたからだ。その会社の社長に美人の奥さんがいるという事実にわたしの判断が影響されないとの同じように、製品が何であろうが構わなかった。しかし、わたしが本当に知りたかったのは、この会社が新しい、活気のある幼児期を迎えた産業の一員かどうか、そして市場ではその株が私の要求に沿った動きをしているかどうかだった。

もちろん、これは多くの保守的な立場の金融関連記事の執筆者のアドバイスとは全く反対の手法である。彼らは何世代もの間、懸命な投資をするためには企業の決算報告書や貸借対照表を研究し、株価の背景についてできるかぎりの情報を探り出さなければならいという考えを、投資家に吹き込んできた。

この方法はわたし向きではなかった。決算報告書や貸借対照表が伝えるのは過去と現在のことだけだ。未来のことは分からない。そのためにわたしは自分なりのやり方を考案しなければならなかった。わたしの求めているのはキャピタルゲインである。配当が必要な母子家庭では異なった考え方をすべきだろう。

世界中を飛び回りながら、わたしは将来性から考えて成層圏まで跳ね上がりそうな株を絶えず物色していた。これはいわゆる高値圏取引と呼ぶ手法の準備段階だった。新高値を付けそうな銘柄を探し、それが発射台に載せられて打ち上げ準備が整えられるのを、精神を集中して観察した。こういう銘柄の株価は以前より高くなっているだろうし、特に初心者の目には高すぎて手が出せないだろう。しかし、その株価はさらに高騰する可能性がある。高く買って、それをもっと高く売ろうと思った。苦労して得た訓練成果を発揮して、高額な割にはお買い得な、動きの早い株を探そうと一生懸命だった。最初にマーケットが好転する兆しが見えた時点で、こういう株が値上がりするのは間違いないと思ったので、絶えず気を配っていた

他人よりも早く行動することである。これが、5年かけて自分を鍛えた末に到達した地点だった。非常に多くのことを学んだ。カナダ株の時代には、ギャンブルをしてはならないことを教わった。ファンダメンタリストの時代には、業界やその収益の動向を学んだ。テクニカルな分析に傾倒した時代には、価格の動きをどう解釈するか、個々の株式がテクニカルな面でどんな局面にあるのかを勉強した。そして、断片的に学んだことをつなぎ合わせることができた今、わたしの力量は確実に上がっていた。それは、複雑なジグソーパズルを解いて、最後にすべての断片が見事に収まったときのようだった。この方法が将来確実にわたしを成功に導いてくれると確信した。わたしはゆったりとした気分で、自身に満ちてマーケットの潮流が変わるのを待った。その数ヶ月後、待ち構えていたことが始まった。

これは非常に難しい決断だった。目の前に差し出された利益は大きく、魅力的だった。ブローカーの話を聞いていると売りたいという気持ちがむくむくとわいてきた。とにかく、100ドルで売ればひと財産できるのだ。聞き耳を立てながら一生懸命考えた。そこで、生涯でも最も重要な決断の一つを下した。

「いや、100ドルで売る気はない。値上がりしつつある株を売る理由がない。手放さないでおくよ」これがわたしの答えだった。

わたしは手放さなかった。これは大きな、かつ困難な意思決定だったが、結果的にはまさに正しい決断だったことがあとで明らかになった

(ニューヨークに戻りブローカーのすぐそばで)取引を始めて数日のうちに、過去6年間に渡って学んだことをすべて放り出してしまった。自らを厳しく律して禁じたことの全てをやるようになった。ブローカーと話をし始めた。うわさ話に聞き耳を立てるようになり、ティッカーマシンのそばから離れられなくなった。電報で取引した時にあれほど慎重に培った明晰な洞察力を完全に失ってしまった。最初に失ったものは第六感だった。「感覚」がまったくつかめなくなった。見えるものはただリズムもなく、理由もなく上下する株式のジャングルだけだった。ついで、自律性がなくなった。次第に自分のシステムを捨てて、他人の意見を取り入れるようになった。最初に覚えたことは群衆に従うことだった。周りの人が「イエス」というのに、わたしだけが「ノー」とは言えなかった。他の人が怖がる時は、自分も怖くなった。

解決策をささやく声が聞こえたが、最初は信じることができなかった。その答えが意外で、単純ではあるが異常なものだったので、信じ難かった。その声は、わたしの耳がわたしの敵だと言っていた。この事実が、天啓が下ったかのようにひらめいて、目を見開かされた。

毎日受け取る電報だけに基づいて投資をしていたころは、そのやり方がマーケットを見通す目を授けてくれたのだ。その力が株式の動きの方向性を教えてくれたのだ。それ以外には何も見なかったし、何も聞かなかったので、ほかに影響を受けるものがなかった。

ニューヨークでは事情がまったく違っていた。うわさ話や干渉、パニック、矛盾だらけの情報など、あらゆる種類の雑音が耳に入ってきた。この結果、株式取引が感情に支配された。かつての冷静で、医師の診断のような取り組みが影をひそめた。

答えはただひとつだと思った。自分を取り戻さなければならない。全財産をすってしまう前に、直ちにニューヨークを離れて、遠くに行かなければならない。

 

出発の前に非常に重要な決定をした。ブローカーたちに、絶対に電話をかけてきてはならないし、どんな理由があろうと上方のたぐいを知らせてくれるなと言いわたしたのだ。わたしがブローカーに求めたのは、いつものとおりウォール街の株価に関する毎日の電報だけだった。

今度の答えは簡単だった。それはすでに試してみて、間違いないと分かっている回答だった。上昇中の株を売らなければならない理由はない。トレイリングストップを背に、相場の流れに沿ってただ走り続けることになるだろう。相場のトレンドが上向きなら、買い増しをするだろう。もしトレンドが下落に転じればどうするのか。今までどおり、邪魔の入った泥棒のように逃げ出すことになろう。

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